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『 僕と修行 』

幼少のころより何の影響か武術に特別の興味がありました。父親を亡くした時期が早かったせいか、男子として家や母を守るのは自分なんだ。そう思っていたように思い出します。武術の経験がある人にはかなり積極的に接近し、教えを乞いました。当時、疎開さきの千葉には武術の道場などは皆無であり情報も少なく、かろうじて本などで知る程度だったのです。当然テレビの普及はその後で、映像と言えば映画だけでした。その中で活躍する時代劇の剣客や悪者を懲らしめる英雄(ヒーロー)の使う技に憧れました。そこで頭に浮かぶのは剣道や姿三四郎に代表される講道館柔道ですが、それから更に数年後運命的に僕の目の前に現れたのが敗戦にまみれた若き日の極真会館創始者大山倍逹師だったのです。日本は負けてない。まだこんなに強い人が生き残っているし僕もこれから強くなる。一人っ子で危険な運動は許されなかったのですが、習い覚えた つたない技で喧嘩相手を捜し修行の日々が続きました。それは大山倍逹師に巡り会う前です。自宅の門の前に立ち手頃な喧嘩相手を捜し喧嘩を売るのです。小学校の低学年の頃でした。そしてある日喧嘩を買ってくれそうな相手が門前を通るのです。早速声をかけますと、こっちへ来いとばかりに手を振り誘うのです。あまり門から離れたくはなかったのですが、売った手前仕方なく付いて行きましたところ、いきなり陰から二人が出てきて退却しようと(逃げではなく)したのですが、時既に遅し。両手を押さえられ一人に馬乗りにされ、やりたい放題やられました。頭は出来の悪いジャガイモのようにぼこぼこになってしまったのです。あっと言う間の出来事でしたが鼻血を出し、こぶだらけの自分が惨めになり泣いて帰ったことを思い出します。その日から僕の修行は禁止され外出までも規制されたのです。されど、それからも僕の武道への憧れは続くのです。

前に何度となく書きましたが大山師への弟子入りは許されませんでした。しかし空手は諦めず他流での修行を積みました。今思えばそれもまた好かったように思います。多少空手なるものを覚えた後の路上での修行はどこから見ても 空手ではなくボクシング紛(まがい)いだったように思います。言わばそれだけ空手が身 に付いていなかったのでしょうが、後日キックボクシングが流行り出し空手出身のA級選手が続々と登場しました。見ろ、やっぱり空手は強い。と思いつつも不満であったのが空手出身の選手が見せる戦い方が空手を彷彿とさせるものではなかったのです。唯一極真の山崎選手だけは空手で戦っていました。やっぱり大山師の弟子。と嬉しくなったことも思い出します。
されど、これも伝統派と比べると同じものであって微妙に違うのです。まず感じたことはビート(拍子ーリズム)。技から技への連絡を潤滑にする為に極力居着くことを嫌い、従って極めを甘くしているところです。
その時からハッキリとオーソドックススタイルと決別し、大山空手への転向を決心しました。僕は齢30代の半ば、息子は小学校の5年生の時でした。

それから更に30数年修行を続けておりますが、あの忌まわしい敗北の経験後、国内外で実に巧妙に危機を凌ぎ、この年に至も幸い二度とあのような悲惨な思いはしておりません。が、説明をさせて頂きますとそれは不敗とか連勝を意味するものではなく、武道における戦略知略を用いた事も意味します。常に強さへの憧れや好奇心も失ったことはなく、ただ終りも完成もない達人への夢を果てしなく追い求め、未だに夢で思いついた技を起き上がり練習することすらあります。何れ加齢によって様々な肉体的能力を失っても果てしない夢に支えられつつ修行を続けている自分の姿を想像します。それが僕にとっての空手修行なのです。

塾長 成嶋弘毅



 
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