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『葉隠塾の歴史』

葉隠塾を紹介するには以下の出来事を語らない訳には行きません。
私が空手を志したきっかけと云うのは今からさかのぼること50数年前、 大山倍達と云う空手家と巡り会ったことに始まります。 その方は後の極真会館総裁 大山倍達翁です。

ある政治家の事務所を親に伴われ訪れた際、その方から紹介を受けたのです。
そこでの話しが進み食事会に移ったときの事です。『この坊やにお土産を待たせたい』と若き日の大山総裁が言い出しました。何を下さるのかと期待しておりましたところ、取り出したのが5円と10円の銅貨だったのです。
いくら40年代の後半とは云え5円や10円ではお土産などと言える額ではなく、少し驚いておりますと更に驚くこととなりました。
その銅貨を手にとり指の間にはさみ、飴のように曲げてしまったのです。
今の子供が見るウルトラマンとか仮面ライダー以上の超人に見えました。
云うまでもなく大山倍達と云う空手家に魅せられ同時に空手なるものへの脅威と憧れを抱きその時から空手の虜になったのです。

それからも大山総裁とのゆききが続きました。何とか空手を教えて欲しいといくらおねだりしても聞き入れてもらえません。ようするに強くなる前に勉強をして偉くなれと云うわけです。

納得の行かない私は自分の意志で行動できるようになるとすぐに伝統派の空手を始めました。しかし、子供心に深く植付けられた大山総裁の空手とその印象が強く、申し訳ないのですが各流派を渡り歩きながらもどこも憧れを覚えるものではなかったのです。

またしても大山総裁が頭に浮かび、成人してから再度弟子入りをしようと考えましたが、その頃は既に社会人として結婚もしておりましたので極真とビジネスマンの両立は無理と断念し、空手を愛し憧れる同士や後輩を集め始めたのが葉隠塾の始まりです。1976〜7年頃からの事です。
私自身はすでに34〜5才で長男の竜(現極真会=松井派の西多摩道場責任者)は10才に満たない歳でした。伝統派での経験を基にフルコン(技を相手に当てる)の練習を重ねている中、米軍横田基地の兵隊で練習に参加しておりました男(ケント=現在ワールド空手で連載中の”一撃の竜”にも登場)が、基地内で極真のクラスが始まったので一度見に行きませんかと誘いを受けそこで出会った方が当時極真の支部を預かる吉川一生氏だったのです。お話を重ねる内に嘗て子供の頃に大山総裁に感じたのと同じ雰囲気の空手に向ける夢と憧れを待ち、古臭さのない好い意味での派手さを感じさせる方でした。理論も又魅せる技もお持ちの立派な指導者と見込みご指導を受けることとなり、当時の極真では異例の出稽古も許可して頂き全員本格的なフルコンの指導を受けたことが今の葉隠塾の基礎となっております。

2007年10月現在
葉隠塾 塾長成嶋弘毅




『葉隠塾の名称とロゴ&入門書の由来』

葉隠塾名称の由来は、塾長の成嶋弘毅がその人生において十 代より座右の書として事に触れ思う時に愛読した佐賀藩士-山本常朝が金立山(きんりゅうざん)山麓の庵で語り聞かせ、それを聞き書きした“葉隠”なのである。

葉隠塾の歴史として、入門書とそのロゴがあります。入門書とロゴ は塾長の母堂が塾長と頭を突き合わせ草書で書いたのを使用しました。それは創立 当初のことでした。

入門書につきましては原版はこれも母堂の書かれたもので現在もそのまま使用 されております。

草書であり、見なれない字体ですので義とか茶に間違われ淋しい思いをすることしきりです。“ぎいんじゅく”とか“ちゃいんじゅく”では締まりません。

尚、葉隠=はがくれを音読みで葉隠=“よういん”としたのは語呂の問題だけでした。他意はありません。

 
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