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『名誉とその表現』

他の動物と違い、人間には品格が問われます。それ故に”徳”を積むことを自分にも他人へも課すところがあります。徳とは施す善行のことですが、それを隠し行う事を奥ゆかしい美徳とし、昔から日本人は大切に敬って来ました。陰徳こそ最も位の高い徳とされて来たのですが、ビジネスや利害の絡んだ行為には基本的に徳はないと思っています。何故ならば如何に綺麗ごとを装っても所詮見返りを期待した行為であり、言わば利害関係だからです。

しかし、その対岸にある何の見返りも利益も度外視した行為もあり、善行とさえ意識せず自然体で施すものもあるのです。一つ、とても軽い例を上げます。軽いからこそ真理が伝わります。その方は退職後、庭の手入れを趣味とし、またそれを日課のように消化して来ました。家族もそれを当たり前に受け入れて見て来ました。そしてある日その方に突然死が訪れたのです。それまで当然と思って見た整然と整えられた庭や草木のあり様と、自分達の家には雑草は生えないと思っていた家族の認識違いも歴然と現れ始めたのです。『みんなお爺ちゃまがやってくれていたんだね』そのように無欲の行動には評価がありません。その方が去った後、ひっそりと偲ばれる行為であり、本人もまた感謝などの期待もないのです。それまで誰も気付かず、その人がいなくなってから気付いた事実を経験した方はいる筈です。そう言えばあの方がやっていたよね。とか、それが本来の陰徳と言うものです。されどその中にも“陰徳あれば陽報あり”と言う陰徳を施しておけば良い報いがはっきりと現れると云うご褒美も付いているのです。

陰徳にこだわりますと、多くの人は名誉な事や手柄を隠すこと自体に抵抗を感じる筈です。また自分が残した実績などが評価もされず、云う事も出来ないのを不満に思う事でしょう。それが人間の性です。かと言って思いを不用意に表現すればこれ又卑しくなり、如何に立派な行為も単なる聞き苦しい自慢話に終ります。仕事で報告が義務とされている事もそれが手柄や誉れであるほどに、その表現の仕方次第ではその人の人格を損ねてしまうことになり兼ねない難しい問題です。だからこそ人間は常日頃“徳”を積み、精神の修養を図り、人格を高めることにより卑しさも浄化され、表す徳も淀みなく伝わるようになるのです。人格.品格.品性は一日にしてなるものではありません。一歩一歩築き、ようやく辿り着くかまた回り道をして終うか、気の遠くなるような道のりですが、行き着くまで日々歩み続けたいものです。

 

2010年2月19日

一風



 
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