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『Loyalty忠誠心とは その1』

Loyaltyとはとても良い響きではあります。しかしそれを受ける側と捧げる側との思惑が果たして一致するかどうかに疑問が残ります。

昔で云えば主君、上司、長など、目上の方によせる“義”には忠義や忠誠などの捧げる義がほとんどでした。それを受ける方の義も当然あったのですが封建時代での義には義務的な圧力感があり、捧げ与える方にも純粋ばかりではない権力へのへつらいも感じられます。果たして封建時代における純粋な忠義、忠誠とはどんな形をしていたのでしょう。

“侍”以外でごく一般的な映画やお芝居での人気者に“清水の次郎長”がいます。その子分には大政、小政に森の石松など数え上げたら切りがないほどに大勢の子分がいました。その子分全員が惚れ込んだ親分が“次郎長親分”です。親分も子分をこよなく慈しみ、その乱暴で荒くれ者のほとんどが惚れた親分の為ならば命の一つや二つ捨てても悔いがないと思う漢達だったのです。そう云う男の集団こそあの“鬼より怖く強い”清水一家だったのです。現代の日本の企業やグループにも各々の組織にカリスマはいるのでしょうか。ある関西の大手企業社長との会食の際、その方が“成嶋さん、社長業とは人気商売です。”と云われた言葉を思い出します。

人の心を捉えることが先ずリーダーシップのエッセンス『本質』なのでしょう。戦国時代の主従関係も主君に従う従者の多くは主君を大好きなファンだったと思えるのです。豊臣秀吉の伝記に、自分の命を賭けれる主君を探し歩き、巡り合えたのが織田信長であったように、昔から従者は志しを果たす為主君を選び、見付けたら命懸けで尽くし、担ぎ挙げることにより自分の運命を託したのです。言わばその行為が忠義、忠誠に通じるものだったのではないでしょうか。今風な表現を用いれば、ファンの努力が実り、お気に入りのタレントをスターに育てるような贔屓筋『ひいきすじ』の心意気です。

また誰もが知るお話に“忠臣蔵”あります。無念の内に切腹して果てた殿様への忠誠心から仇討ちを果たしたと云う忠臣の話しです。それは果たしてそうなのでしょうか。自分の短慮から前後も考えず、いくら許せぬとは云え老人に切り掛かり、それも失敗し、取り押さえられた上切腹を言い渡されて果てた殿様が、家来に残した辞世の詩があります:-

風さそう 花よりもなお我はまた 春の名残りを如何とやせん

と云うものですが、ひどい話しです。家臣に自分の失敗を押し付け、“風に吹かれて散る花びらいじょうに、もっと春を惜しむ自分の無念はどうすればいいんだ〜。”と云っている訳で、これを聞いた当時の家臣であれば殿様への忠義心はなくとも武士道が仇討ちをさせずにいられなかった事でしょう。

その頃は戦もなく家督『相続される権利』は自動的に受け継がれ、殿様も自分で選んだ主君ではなく、それもまた受け継がれた主君だったのです。そこには主従の情は既に薄く、残るのは権利と共に受け継いだ侍の義務と掟だけが感じられます。気骨と気魄で生きた武士は消え、言わばサラリーマン侍です。

江戸時代には既に天下が平定され、同時に侍は命懸けで示した忠誠心の表し処である戦場も失いました。人対人の主従関係の忠誠心から武士であった侍は少しずつ主君への私的忠誠心が薄らぎ、“志”的な武士道に移って行ったところが見受けられます。仁、義、礼、智、信の徳などがそうです。忠臣蔵の時代には家臣に主君への個人的な忠誠心はなかったであろうと推察されます。当然古き良き主従の関係も、その後昭和に至るまで少数ではありながらも残って行きました。

一寸話しは変わりますが、近代における“志“と云う点で楽しくも頼もしいお話があります。平成前の昭和のお話です。関西で、ある有名な親分の修行時代の話しで、その方が仕えていた当時の親分から、肩がこったので按摩をしろと言い付かり、“では按摩を呼んで来ます。”と言い残し出かけようとすると、親分が“按摩じゃ〜ね〜。おめ〜が揉むんだ。”と云いますと。“親分、俺はまだ出世前の男です。例え親分でも按摩のまねは出来ません。”と平然と断ったのです。その後、当然親分からは日本刀で追い回されたと聞きます。志とか出世前の男がしてはならない事として子供心に昔しばしば親から聞かされた懐かしい言葉です。
その方は後に日本の大親分になりました。肩揉みはそのかたにとって出世まえの男が漢を下げる法度的行為だったのでしょう。きっとその方は偉くなってからも子分に自分の肩など揉ませるような事はしなかったと思います。それが捧げられた志しに応える心なのです。志は高く、頭は低く『謙虚』あれと云うことです。

今一つ残された幕末の武家の棟梁であった徳川家のお話を紹介します。今年、NHKで放映されております『篤姫』に関わるお話しですが、皆様には馴染みがあると思い、数有るお話の中から選ばせて頂きました。

篤姫はご存じの通り、徳川の将軍に嫁いでまいりました薩摩藩の姫です。将軍の正室『正妻』となれば従う家来の数も大変なもので、栄華を極めた徳川幕府のその大奥で徳川家の栄枯盛衰を見ながら不運にも幕末を迎えた訳です。江戸城の明け渡しと同時に、今まで過ごした大奥を従う家臣と共に去ったのですが、衰えた徳川家には既に財力は乏しく、しかし、収入を失った家来の多くは主人を去ることなく側で仕え続けたのです。篤姫はその者達を私財を売りながら支え、ある者は他家に就職の斡旋をし、若い女は嫁がせるなど出来る限りのことを売り食い『財産を売りつつ食いつなぐこと』を続けて支えたそうです。それを流石にみかねた薩摩の実家が援助を申し出たそうですが、徳川に嫁いだ身としてそれを断り、亡くなった時の所持金は三円(現在の六万円ていど)だったと云います。

捧げられた忠誠に応える覚悟。それこそがリーダーのあるべき姿なのでしょう。位高くして責重し(ノーブレス.オブリージ=NOBLESSE OBLIGE)を再認識させられます。



2008年10月末日



 
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