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『武士は食わネど高楊枝』

上の言葉は侍の侍足る矜持であり掟なのです。例えば侍としてお金がなく、いくらお腹が減っていてもご馳走をたらふく食べた時のように茶を啜り、楊子を使うと云う意地も含まれました。

侍の意地、江戸っ子の見栄は粋やいなせの文化からなる日本人特有な痩せ我慢にも見える心意気だったのです。

昔、侍は金銭にも命にも全て潔く(いさぎよい=未練がましくなく汚れもない)ありたいと云う願望がありました。それ故にその対岸に位置する“卑しさ”に対する反発は大変強いものでした。
侍の忌み嫌う卑しさとは何か大きく分けますと、:-乞う(欲しがる態度)、諂う(へつらう=媚びを売る行為)誇負する(こふ=おのれ自身を誇り自慢し、他を侮る行為)と言うその三つに尽き、それを基に枝だ分かれして行く慎みのない俗欲です。

しかし、その淡泊であり崇高な願望や心意気だけではまだ足りない武士の誇りがあったのです。明治時代の軍人で、そのお名前は地名に使われ、神社まであるのです。それは軍神と謳われた乃木大将です。乃木坂、乃木神社として今もなお残っております。

難しい歴史はともかく、乃木大将は日露戦争の際、敵の占拠する陣地を攻略すべく攻撃を開始したのですが、その陣地は難攻不落。大勢の兵士を失ったのです。犠牲を押してもその攻略は果たさねばならない作戦だった為、当然犠牲は増え続けました。その中には大将ご自身の子息も三人含まれており、大将の側近はご子息を最前線から外すべく計らいましたところ、大将は“よそ様の大事なご子息を大勢失い、我が息子達を例外とする考えは持たない”と云い、最期の一人まで戦死させてしまったのです。その行為は正に乃木と称賛されましたが、果たしてその心中はどのようなものだったでしょう。僕も人の親としてその心を推し量ることが出来る気がします。武士道の妥協のない誇りだったのでしょう。

しかし、乃木大将のお話しはそれで終わらないのです。明治維新がなされ国も落ち着いたかに見えた頃、幕末の立て役者であった西郷さんが新政府に抗議を行い西南戦争へと発展し、その頃まだ若輩であった乃木大将も新政府側の兵士として従軍し、戦いの中で自分が守るべき軍旗を失ってしまうのです。
当時としてそれは切腹に値するのもであり、乃木大将も切腹の覚悟を決めていたのですが、明治天皇直々に切腹の中止を言い渡され、命をお預けしたのです。それからの乃木大将は明治天皇への恩義を生涯忘れず忠義の限りを尽しました。しかし人は老い、死にます。命をお預けした明治天皇の崩御は乃木大将の命の終わりを意味しました。既に三人の子を失なった老夫妻は共々明治天皇の後を追い殉死して果てたのです。

現代人から冷静に見れば、ご子息を三人、その上奥方までも失わないで済んだのではないかと云う考えですが、武士道に照らせば明治天皇への恩義と死んで行った部下に報いる道義は何倍尽しても更に埋まらない“義”なのです。

以前、古い米国人の友との会話で相手が日本語で“義理”と云う言葉を使ったのです。すぐに僕は“貴方にとって義理とは何か”と尋ねますと“借り”と答えました。そこでまた“借りと云うことは返せば終わると云うことですか”と確認しますと“Yes”と戻ってきました。それに対して僕の添えた言葉は“日本人の義理とは、返しても返しても返し切れない恩なのです“と説明して聞かせたことを思い出します。

さてこれをお読みの皆様は“義理”をどう解釈されるのでしょうか。

 

塾長 成嶋弘毅 
2009年3月20日 





 
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