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『伺い知る“心”』

最近、僕が頓に思い悩むそのテーマは人の”真心”です。果たしてそれを表現するのは言葉でしょうか。それとも“行動”でしょうか。

日常、我々が人の心を伺う(知る)法方として、その人の言葉からそれを判断していますが、人は時として考えてもない事を口にすることさえあります。また、相手により先を見越した“楯”として用いることもあるように思います。言葉は確かに“楯”として役立つのです。それは装おうことも飾ることも自在だからです。それに引き換え言葉以外の表現法である“行動”は装いも飾りも施すことが難しいのです。ごまかしが効かない“実”であり言葉はその逆に“虚”とも言えるのです。       

しかし全て“虚”と片付けるてしまう訳にも行きません。言葉と行動を合わせて見るとかなり確証の高い分析が出来るのです。言葉での励まし、助けや助言も確かに有り難いことです。しかし、その言葉に行動が伴わなくてはやはり実とはなりません。犠牲を払う、それも言葉では容易くできます。しかし言葉だけでは犠牲を示す力はありません。また相手も認めません。
今思えば子供のころ、とっても優しくもの判りの良い大人が言葉での期待とは裏腹になかなかそれが実行されず、その後の失望の大きかったことが思い出されます。子供なのに期待していた事をその相手に打明けられないまま不信感をつのらせた覚えがあります。そのような経験のもとに、いつしか虚ではない実を測るような習慣が付いてしまいました。

特に犠牲とか人間が本能的に実行し難いことは行動が伴はないものです。社交辞令で良く“お世話になっております”と言われますが本当にお世話することは生半可なことではありません。

幸か不幸か、現在僕は齢においても、肩書を含めても勤め先では社長、趣味の場である空手道場では塾長を勤めているため、何ごとも依頼すればNoと言う返事はめったに帰って来ません。しかしそれが心で納得したものかどうかは全く計り兼ねるのです。会社では基本的に業務上での事なので上司からの指示は義務的拘束力がありますが、道場は修行の場であり武道家の不文律の場でありながらも依頼する前にその人間がどういう性格をしていて、それに普段の思考が先ず依頼の規準値になります。嫌なことを厭い、犠牲を惜しむ性格の人のYesは心からの応えとは信じ難いものです。更に武道における師範、先輩の依頼にNoはないからこそ余計にその配慮が施されなくてはなりません。本意を悟る淋しい確認と云うことですが、押し付けや強要であるよりもましな計らいだと思っています。

総じての結論ですが、信頼に価する心は相手の誠意ある行動が何よりも説得力があると言うことです。犠牲なくして真意は表現出来ませんが、誠意とは犠牲と感ぜずに行う行為ではないでしょうか。なお、それを期待する事も虚しいものです。

『巧言令色、鮮し仁』何ごとも言葉で済ませてしまうことはなりません。

◎『巧言令色、鮮し仁』(こうげんれいしょく、すくなしじん)とは、言葉は巧みに操れても行動が伴わなければ“仁”には欠け、徳もないと云う意味です。

塾長 成嶋弘毅 
2009年3月6日 





 
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