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『武士道と侠客道』

皆さんは常日頃武士道とか任侠道を観念的には理解していても実際に現代でそれを確認することは出来ません。特に武士道に関しては全くどれがそうなのかハッキリした識別や実体は見ることが出来ません。それに比べ任侠道をヤクザ社会とするならばそちらは現代でも確認可能です。

武士道とは武士の行動規範的思想でしたが、武士や武家社会が消え去るのと同時にその象徴的髷(まげ)を落とし帯刀が廃止された時点から武士道も変わっていったのです。しかし、その後も明治、大正と昭和にかけて武士道は間違いなく我々日本人の内に脈打ち続けています。それは政治家であり、実業家であり、一般市民やサラリーマンにも受け継がれていることを感じます。ただそれを象徴する形がないのです。
一般市民に溶け込み識別は出来なく、それゆえに武士道を重んじる人々のモチベーション(Motivation)も下がっていることも確かなように感じます。野球をする時にはユニホームを、武道をする時は道衣がその意欲を誘発するのです。かろうじて武士を感じさせる職業に警官、自衛官やそれに類する職業がありますが、それすら武装されていると云う印象でしかないかも知れません。しかし、昔から武士は必ずしも武装していた訳ではないことも認識しておきたいことなのです。
武士イコール戦闘員ではないと云うことです。各々の得意分野を持っていたのです。しかし武士達は一通りの武術と武器の手入れ等は武士の嗜みの一つと心得、常日頃武士としての覚悟を持っていなければなりませんでした。勿論責任は命に代えると云うものです。

さて、ヤクザ社会と任侠道をいきなり同一視するのも少し乱暴です。
荒っぽい暴力団まがいの商売をしている団体をヤクザと認識し、そこに任侠道があるのかとなるとこれまた問題です。しかし一般に認識されているヤクザは容姿やその装いからも武装されている印象を人に与えその存在そのものが一般人を含む他を威嚇しています。基本的に僕の観念の中では武士道と侠客道は同一の武装された人間の規範となるべき君子(紳士)の訓えなのですが、そこが難しいところです。ここで僕が経験した面白いお話を致しましょう。今から約15年ほど前、伴もなく単身での出張で公共の交通機関を利用した際、何かの手違いからであろうと思われる人間が同席(指定席)して来たのです。それは明らかにその筋の人間達でした。中の一人が着席と同時に僕に黙礼を送ってきたのでこちらもそれに応えました。連れの漢達は注意深く僕を観察しました。それとなくこちらも相手を観ると、歳の頃は50才前後で、スーツを行儀良く着こなしておりどことなく品格も感じさせる漢でした。連れの漢が飲み物をその漢に持って来るともう一つ追加するように指示を出し、運ばれて来た飲み物を『同席させて頂きます。どうぞ』と、僕にすすめるのです。『頂戴します』とそれを受けました。一言二言話してみたいと思わせる漢でした。そこで僕の頭に浮かんだものは“侠客”です。古き良き時代の漢を磨いた漢です。“残侠”をいとも簡単に感じさせたのです。その確認は何処か僕の心を嬉しくさせました。同席の人間に対する不快感(威圧)を軽減させようと云う思い遣りです。仁義の“仁”にほかならなりません。そこで僕の考えたことは武士道を如何に他の人間に表現したら良いのか。でした。普段僕が心においているのは全ての行いに信義を正す。先ずそれを守っております。今はまだ意識をしておりますが、それを無意識に行えるよう修行して行きたいと思っております。仁侠道を示す以上にそれは困難なことです。

塾長 成嶋弘毅 





 
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