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『今もなお武士道が活きる!』

私の著書『武士道子育て』をお読み頂きました方々の中で”水滸伝”をお読みになった方はいらっしゃいますでしょうか。そこには武士道とはまた少し異なる人間のなすべきことは何かを改めて認識させるものがあります。『今なお武士道が活きる!』を旨とするならばそこからの思想も大いに役立つ要素となる筈です。

人間は本能に逆らい生きる方法をいつ知らず刷り込まれて行きます。それは成長の段階で先ずは親から授かり、周囲の目上の者や友達から学んで行くのですが、生まれたばかりの子でも既に意志を無視され、嫌なものを押し付けられれば言葉で訴えられない分、泣いて告げます。それとは反対に、心地がよければ赤ちゃんが微笑さえ見せるのです。本能だからですが、いずれ今までは泣けば通ったことも、それが叶わない時が訪れます。それは大人の世界への入り口に立った時なのです。哀しいことですが人間は知恵が付くほどに本能と欲を隠す術が巧妙になって行きます。

武士道では知恵を付けることを良しとしない傾向があり、それを勘定者とか、小賢しいとか罵りながらも一旦その知恵者に品格が備わっていると認めると今度は賢者に昇格するのです。ようするに観念的であり精神的な考えなのですが、我々日本人はこの精神を永いこと植え付けられて来ました。そこで今回改めて読みなおした”水滸伝”からそこに一般的に理解し易い武士道を再認識したのです。流石に中国は歴史があり、深みと適応性の面からすると武士道の比ではありません。武士道に欠けた合理性に富んだ義が見えるのです。”水滸伝”の唱える『賛天行道』とはどちらかと言うと侠客道に近いものを感じます。それがPRACTICAL(合理的)と思わせるのかも知れません。賛天行道とは、なすべきをなすと言う水滸伝の思想で、男達がその思想の下に集い人生を賭け、命までも賭けてその想いを守り抜こうとした後、ヒーローになったり、または死んで行った人間達にまつわる物語です。その上その基地である梁山泊にも夢を馳せます。彼らは体制側(国家)からすると単に叛徒でしかないのですが”義”によって集まる義賊です。その昔中国で書かれ、昔から三国志とともに日本にも大変親しまれ、影響を与えたフィクションです。人々に共感を与えるお話とは不思議に地球上のどの国の人間にも共感出来る要素があるのではないでしょうか。ロビンフッドも三銃士も正に体制に反抗する叛徒であり義賊の物語りです。不思議なことにハリウッドからの映画の”ラストサムライ”も日本には存在し得なかった叛徒です。

賛天行道の旗の下に拠り集まった梁山泊の同志の思想がこの世に必要なものであることを私は様々な経験から目にし、やって来た今、更に確信を持って皆さんにお伝えしたいのです。それは何処にいても、何をしていても変わらないものなのです。教育に、特に経済に政治にすら共通するものが含まれています。武士道にその思想を融合させることにより武士道をより適応性豊かな思想として現代日本の若者にも判り易く紹介出来るのです。機会がありましたらお読み頂き、是非その賛天行道がいかなるものか覗いてご覧下さい。それは決して貴方に答を与えるものではないかも知れません。嘗て中国は孔子や孫子、孟子を排出し、”三国志”や”水滸伝”を世に出しながらも文化の革命が必要とあればそれら全てを捨て去り、葬り去り、改めることを厭わなかったと聞きます。そこから何を学ぶか流すかは我々が選択すべき権利ですが、現代の中国が過去として終えた思想がきっと皆さんの武士道に現代的な息吹を与えるものと信じます。それも二千から三千年に及ぶ昔の思想がまだそれほど歴史的に古くはない武士道以上に今風に感じるのは人間の考えや感情は何千年経った今でも変わらない事を告げています。それに引き換え武士道は歴史がまだ浅く、浅いが故に去年流行った流行を見るような古さを感じるのかも知れません。しかしながら私はなおも武士道にこだわり生きたいのです。例えば物語の中の賛天行道なる一册の教えが何であったかは明らかではありません。然し、我々日本の武士道もそれが何なのかは更に明らかにされたのもはありません。葉隠もまた新渡戸稲造氏の武士道も、各々の持った武士道を誘発させるものであってそのものではないのです。日本人の徳目(忠.孝.仁.義など分類した名目であり道徳の細目です)はそれを感じる人それぞれが持つ感動とか、誇れる義務感ではないでしょうか。儒教で言う五倫、五常です。『勧善懲悪』の表現が薄れた現代にかろうじて残る守るべき古き良き伝統なのです。なお、武士道を深く掘り下げて見るほどに本能と欲を隠す術がを磨き巧妙に生きるよりも本質的な本能を見定めながら清廉(私欲にとらわれない清らかさ)に生きることこそPRACTICAL(合理的)ではないかと増々感じるのです。

今後も私が思い付いた武士道と日本人の徳目に関わるお話をエピソードを交えながら紹介させて頂きます。ご支援頂けましたら幸いです。

 

塾長 成嶋弘毅 





 
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