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 『男の紋章 “英雄”』

今年五月の連休中、息子からの電話で土方歳三資料館で命日にちなみ遺品の展示が行われていると言う知らせを受け、日野まで足を運こび、彼の佩刀和泉守兼定を始め遺品等を拝観しました。

幕末、京都と言えば新撰組を自動的に連想するほどに有名な組織であり、その中でも土方歳三は局長の近藤勇を凌ぐほどの英雄です。

僕が新撰組に対する関心を深めたきっかけは司馬遼太郎の”燃えよ剣”でした。その後映像化され、栗塚旭が土方役を演じており、それがいかにもはまり役でした。夢を携え同士とともに京に上り、紆余曲折を経て新撰組が認められ、その最盛期を迎えます。同士と織りなす京都での様々なエピソードからその組織の栄枯盛衰が始まります。幕末の徳川幕府の衰えに権力に携わる新撰組にも将来への翳りがみえ始めます。その中にあって常に毅然と物事に対処して行く土方は魅力的でした。侍とは何かを見た気がしました。”燃えよ剣”もリアルタイムで読み、映像も見ていた僕も当時はまだ若く、書物にも映像にも勇ましさにまず目を奪われました。と同時に小説とは言え史実に基ずいた根拠のある歴史物語に大きな影響を受けたことを覚えて居ます。何年か後に息子も成長して行き是非読ませたいと思い、その本を買い与えたのです。案の定息子もそれにはまりました。親子二代、それも息子に留まらず娘二人にも読ませたのです。娘達は勇ましさを読み取るのではなく、男達の狂おしくも儚い権力者必滅の“理”と男達の志を感じ取ったようです。

それから更に十数年、勇ましさだけに目を奪われていた僕に見えなかったものが今回日野の資料館で目に止まったのです。それは戊辰戦争後、新政府で活動を始めた榎本武揚を新撰組関係者である者が日野から訪れ、記念に榎本の土方に対する印象を書き残した『入室即清風』と云う書なのです。解説するまでもなく(部屋に入るなり清々しい風を感じる男であった)。と言うものです。男たる者が求める正に至高の紋章ではないでしょうか。勇ましさだけを求めていた時に感じ得なかったことが今この歳を迎え、見えたように思えました。感受性も歳月とともに遷り行くことを最近特に感じております。人間は歳月に従い成長もし、その後で老いて行きます。老いて益々清々しさが匂う老人。そんな人間が存在するのか。それを真向から否定し、老いを忌み嫌った三島由紀夫氏を思い出します。曰く『私の癒しがたい観念のなかでは、老年は永遠に醜く、青年は永遠に美しい。老年の知恵は永遠に迷蒙であり、青年の行動は永遠に透徹している。だから、生きていればいるほどわるくなるのだ』と、氏が何かに書き残していました。確かに若い頃の僕はこの言葉にも憧れもしましたが、あの方が今も生きておられたらどのような歳をとられたのでしょうか。見てみたかった気がしてなりません。

『永倉新八』この方も新撰組に欠かせないキャラクターです。数少ない畳の上で命を全うした新撰組隊士でもあります。晩年の彼の逸話に齢六十を更に過ぎた頃、歩くには腰も曲がった老人となっていた彼が防具を付け竹刀を持ったとたん腰もシャッキと伸びたと聴きます。それはかなり信憑性のある話です。なお更にこんな話も残っております。晩年お孫さんを連れ芝居見物に出た永倉は、出入り口の下足場でヨタヨタしていると地回り(土地のならず者)の若い衆に『爺〜!もたもたすんジャ〜ネ〜』と、突き飛ばされそうになると『何を〜』と、その者に言い返したのです。その形相の凄まじさに血気盛んな若者は気後れし、黙って去って行きました。何人も人を斬り、数限りなく命を的に生き抜いた者の気迫を感じます。たとえ歳は取っても武術家であり“侍”としての矜持がその気迫を支えたのでしょう。実は私には子供の頃まさにそのような場面を目撃した経験があるのです。事実、若者に襲われた老人がものの見事に相手を背負って投げたのです。きっとひとかどの武術家だったのでしょう。そのことはまたの機会に詳しく書きたいと思っています。この平和な今の日本に棲みながら、僕も武術家としてまた男として土方の清々しさと、歳を取っても気迫に満ちた永倉翁を目指し、これぞ男の紋章と、果てしない夢を追い求めて生きたいと心より念じて止ません。

2008年6月  塾長 成嶋弘毅 




 
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