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武士道における武将の帝王学
『軍配を振るう=指揮、指令』

上記は軍を率いることそのものの表現です。現代でも戦国時代でもリーダーの義務的行為です。軍配と云う言葉を使いましたので戦国時代と云う設定に致しますが、それを現代に変換しながらお読み頂くのも面白いかと思います。

戦いは指揮官の振う軍配の下に展開されて行き、武将の優れた戦 略や判断力が 大きく軍団の運命を左右することとなります。当然戦を支えるには武将を取巻く軍師や戦いに熟達した強兵の存在も欠く事は出来ませんが、全ては大将の判断に委ねられ運んで行かねばなりません。では、それら軍団の頂点に立つべき武将とは如何なる人物であるべきかが気になるところです。

旧き日本の武門を代表する多くの武将は戦いの専門家である以前に統領としての資格や人格が問われました。その基となったのは云うまでもなく武士道精神なのですが、その武士道の感覚が所謂”人文主義”なのです。現代ではそれを”ルネッサンス”とかに表現し使われている場合があります。

人文主義とは、現行の権威や世界観などの固定的価値観から人を解放し、文学芸術の探究を通じ普遍的な教養を身に付け人間の尊厳を確立する思想と云って良いと思います。それにまつわる実際のエピソードのいくつかを紹介致します。

織田信長の時代にキリスト教布教の為来日した宣教師が国元に送った報告書に 『この国の権力者の多くは不可思議である。西洋の文化では権力者たる者は ”ゴールド=金”に重きを置くところ、彼らは欠けた陶器を大切にしたり戦いの最中、茶の湯に興じ和歌などを読む人間達であり理解に苦しむ』と報じたと聞きます。

また、ある戦いで敗走中の敵に、”卑怯なり”との意味の上の句を投げると即 ”それどころではない”との返歌が帰って来ました。その結果追っていた者が突然追い討ちを断念したのでその理由を尋ねますと、生死の境にあって返歌の出来る嗜み(たしなみ)のある”もののふ”を討つに忍びないと云い、討てる敵を見逃す武士道を見せました。 

 

通常の戦は勝負の付いた時点で終りますが、武将の人生は生き続ける限りそこには完結も安息もなく、因果だけは残り続ける事を知る生死を生業とする武将ならではの究極の知恵が正に『任(情け)は人の為ならず』の“理” なのでしょう。

今一つ、現在もなお美談として残る言い伝えに武田信玄と上杉謙信の”敵に塩を贈る”があります。贈られた信玄、贈った謙信両方共に”義”があるのですが領主として領民の難儀を思い宿敵である謙信に頭を下げ塩を乞うたのです。そこにはプライドを超す”任義”が感じられます。更に、戦略的に経済的効果からしても絶対的優位に立てるその塩を敢て敵に渡した謙信の武士道もまた日本人の美徳と云わざるを得ません。が、然しその戦いを最期に天下が平定される天下分け目の一戦であったならば謙信は容赦なく塩を止め、信玄を討ったであろうとも思います。謙信はまだ先に続くであろう戦国乱世の末を読み取り、その時点で恨みをかう愚かを避けたので しょう。まだそこには全ての免罪符となる天下泰平と云う”大義”名分が整っていないと云う判断を下したのだと思っています。ここ一番の勝負と判断すれば即“一刀両断”も武士道なのです。皆様も良くご存じの“関ヶ原の合戦”で家康はありとあらゆる策略知略を用い勝ちに行き、そこには任も義も無しと感じる武将だけに理解出来る大義がありそれを支えに堂々と敵を討つのですが、そこで敗れれば瞬時に覚悟を決め、死を択ぶのも武士道でありながら、醜態を晒して落ち延び再起を計ったこともあるのが家康でした。面子を度外視したしたたかさも武将の条件なのです。

これが勘定を忌み嫌うと印象される武将の計算なのです。武士道においての金勘定は卑しいと云う印象が持たれますが、果たして実際に武士は計算をしなかったかと云うと差にあらず。それなしに軍資金や兵糧の準備が出来たでしょうか。武士の決断は損得で計らないが、結果を求め割り出す計算は当然行われました。葉隠に云う『勘定者はすくたるる者なり』からは除外される武将の戦略的且つ人文主義的な数字のない計算なのです。

現代の実業家や政治家にもそのリーダー(武将)を補佐すべきスタッフが配置されます。従ってリーダーその人が数学者、法律家、化学者である必要はなく武将同様専門知識はなくても戦略的判断が下せる能力を持っていれば良しと云う事です。しかし、得意であれば弓を引き、刀をとり槍を使うもありとしても、主には軍配を振るに相応しい人格と能力を問われるのが武士道における武将の心得なのです。武将とは武将しての帝王学を持った専門職であらねばならなかったのですが、果たして現代でそれは不要なものでしょうか、、、?
ごく最近の雑誌に、仕事が出来る人の『しないことリスト』と云うものが紹介されており、その中で天下人3人のうち織田信長は“部下を安定させない”豊臣秀吉は“無能な上司につかない”徳川家康は“目先の利益を捨てる”でした。私が納得したのは二人だけで信長の“安定させない“はそれが後の明智光秀の謀反を招いたのではないかと云う事です。取り立ててはくれるがその裏に逆鱗に触れれば討たれる恐怖が付いていた訳です。いずれ信長は誰かに討たれたであろうと思わせるふしがあります。恐怖心は人を抑えもしますが恐ろしさに耐え切れず裏切りに走らせる場合も有るのです。『窮鼠猫を噛む』そのことです。人や動物には安心や安定が必要なのです。例え如何なる強靱な精神力の持ち主であっても気を張り詰める期間が長ければ耐え難い事となる証しです。

本能寺で信長が討たれた時、回りを守った軍勢は戦う為の構成ではなく、更に滞在先も城や砦ではありませんでした。天下を掌中に治めたと錯覚した権力者の奢りが招いた悲劇ではなかったでしょうか。“攻め手は誰か”との応えに明智光秀ですと聞いた信長が即座に漏した言葉は、“ならば是非に及ばず”。と、瞬時に出来事の因果を判断し、間もなく訪れる結果を悟ったのです。思い上がった報いと相手の能力を知るが故の覚悟であったろうと思います。せめて“自分の首は取らせまい”との矜持だけは守りました。

武将にとっての“任”は『本質的条件(原理原則)=Principle』なのです。上に上げました雑誌にも、現在の企業人にも私が感じる(意図)は織田信長的思考なのです。刺激的に革新的であり、憧れるべき力強さはあれど忘れてならない事は信長は天下を手にする事が出来なかったと云う事実です。

それ故に今回は武将の帝王学として“ノーブレス.オブリージ”と“任”を提唱致しました。

2008年7月  塾長 成嶋弘毅 





 
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